会長からのメッセージ

2018.7.3

ディープラーニング型AI、再生医療、ゲノム、自動運転など産業革命に匹敵する技術革新が多分野で同時に進行する一方、インターネットやSNSによる情報アクセスの容易さと低コスト化が、従来専門家が占有していたリスクを「市民化」させました。そこでは、技術進歩の速度にレギュレーションが追いつかない政府や際限のない安心を求める市民、信頼されず立ち尽くす専門家などがあふれているように思います。この兆候は、10年前の2008年9月に起こった金融が実物経済を国際的に翻弄するリーマンショックや2010年3月の東日本大震災とその津波による「レベル7」の原子力発電所事故(国際原子力事故評価尺度:INES)で得た教訓を次の世代に繋ぎきれていない学会の姿があるように思います。

また、このようなリスクの複合化や低頻度大規模災害と思われていた災害の頻発に加え、発達障害児童や生活保護受給世帯の急増など、従来リスク研究の射程に入っていなかった家庭分野や社会非適応のリスクが増加しています。実学であるはずのリスク学が世の中で起こっている現場に寄り添うことを忘れていたことの警鐘のようにも思えます。

これらは、図1に示したリスクに関する知見分類の中で、我々が自信を持って研究にあたっていた「リスク」領域は相対的に小さくなり、「不確実性」、「両義性・あいまいさ」の領域に加え、「無知」の領域が急速に拡大していることを意味します。

「不確実性」の領域は、科学的なアプローチの結果を一つの結果や価値に収束させるのではなく「解釈の多様性」を認めることが重要になります。また、「両義性・曖昧さ」の領域では、もはや合理性に基づく分析では決定的な解答を保証できませんが、複数の科学的決定方法の提案とリスク対応の優先順位付けを行うことは可能です。

居心地の良い過去のリスクの領域に逃げ込みたいとの衝動もありますが、高齢化の加速と経済の低成長化というマクロ環境の変化や上述したリスクの市民化というミクロ環境の変化がそれを許しません。

これらは残余リスクの顕在化と増加を生み、好むと好まざるにかかわらず、厳しく政策の優先順位づけを求めてきます。今回、東日本大震災で投じた総復興費用32兆円(集中復興期間と復興・創生期間:2011年~2020年)を発生確率は相当高いとされる次の大災害時に再度拠出できる保証はありません。実学であるリスク学においては、解釈の多様性の議論を尽くす中で互いを認め合い、複数の決定的方法を提示し続けることが求められると思います。そのために学際性を更に高めていく努力が必要となります。

また、残余リスクの急増や新しい技術リスクの登場など従来のレギュレーションでは対応できない分野では、リスク削減(ロスコントロール)に加え、リスクの移転や充実したリスクコミュニケーションが更に重要となります。それは、IRGC(The International Risk Governance Council)が示す「リスクガバナンス」の構図に近く、大げさに言えば「リスク概念の社会実装と社会受容」を実現するということではないかと思います。

このために、学会は、学際性を高める意味からも、企業、役所、家庭、諸組織などにおいて、多様なリスクに対応しようとするすべての方を支える基盤となることが重要です。

このような重要な社会的使命を有する日本リスク研究学会であるにも関わらず、その会員数は、2009年度の648名から2018年6月末で545名まで約100名減少しています。学会の抱える課題を一つ一つ解決すると同時に、学会の魅力度を高めることにより、学会の増勢を取り戻したいと考えています。

その一助として、例えば、①対応したいリスク分野を深く知る手がかりを掴み、関連するリスク分野の知見をバランスよく知るために、リスクを多面的にかつ最新の状況で整理し、②学術的な研究とはやや距離を置いてこられた政策担当者の方々や初学者の方にも分りやすい記述で、③さらに深く学習していただき時の道標になる文献の紹介や関連分野が一目でわかるリンク表の掲載などを特色とした「リスク学事典」を刊行したいと思います。

これらを通じ、「リスクの時代」に真摯に向き合おうとするすべての人に、一歩を踏み出す契機と勇気を与えることができれば幸いです。

 

日本リスク研究学会会長 久保 英也